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今回は「埼玉にある工場から神奈川にある工場に転勤」というタイトルで、仕事で転勤経験がある方に転勤で良かった点と悪かった点を教えて頂きました。
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転勤が決まった時は正直驚いた
58歳、男性で工場に勤務する技術者ですが30歳のときに埼玉にある工場から神奈川にある工場に転勤になりました。
27歳の時に転職して埼玉の工場に配属されてから3年間同じ職場でしたので転勤が決まった時は正直驚きました。
生産技術の仕事を入社以来担当してしましたが、神奈川にある工場でも同様な仕事だと聞いたときは少しほっとしました。
環境が変わったことで知り合い結婚することができた
転勤でよかったことは神奈川の工場に転勤してから5年間は独身生活をしていましたが、ある人の紹介で結婚することになりました。
転勤したことで環境が変わったことで知り合うことができたことは確かです。
その後、神奈川県内に建売住宅の一戸建てを購入しましたが、神奈川の工場の規模は埼玉より大きかったのでもう転勤はないだろうということで決断しました。
その後10年ほどたったときに埼玉の工場が閉鎖されることになりました。
工場に勤務いていた人は、神奈川の工場に転勤するか退職するか選択を迫られることになり、当時同じ職場の人は埼玉で家をもっていたので単身赴任で転勤することになりした。
同じ職場になった人に聞くと金曜日に埼玉に帰り、日曜日に移動するので大変だといっていました。
職場の人たちとの別れ
転勤で悪かったのは転職した職場の人と別れることになったことです。
当時、埼玉の職場ではゴルフコンペが流行っていて2か月に一回のペースで開催されていました。
そのころはゴルフなどしたことがありませんでしたが半ば強制的にすることになりました。
当然一番下手でしたので会社が終わるとそのまま車で打ちっぱなしの練習場に通っていました。
それがきっかけで職場でもすぐに溶け込むことができ、転職後の不安感もすぐになくすことができました。
埼玉では河川敷や森林でも安いゴルフコースが多かったので、娯楽といえばゴルフというぐらい熱中していました。
神奈川の転勤になったときに職場の人でゴルフをするのは年配の人で管理職の方が多く、若手でする人はほとんどいませんでした。
ゴルフコースも埼玉より高いこともありました。
そのため神奈川に転勤してから職場になかなかなじむことができずに苦労しました。
同じ会社なのに転勤先で仕事のやり方が違い苦労
埼玉と神奈川では仕事のやり方が同じ会社のはずですが文化が異なっていたので、一からやり直ししたことも多かったです。
友達もなかなかできなかったこともあり、結婚するまでの独身生活は寂しい時期をすごしました。
埼玉の工場は駅から近かったので歩いて出社することもできましたが、神奈川の工場は駅から会社のバスでいくしか方法がなく毎朝混んでいるのが嫌で仕方ありませんでした。
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