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今回は「月収14万円。初めて就職先、私立学校の教員でパニック障害に…」というタイトルで就職して最悪だった職種と、その職種の年収について教えてもらいました。
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私立学校の教員募集。応募するとすぐに採用されたが…
40歳男性、会社員。
大学を卒業してアルバイトをしてなんとか毎日の生活費を稼いでいましたが、それだけでは家賃を払うことさえままならず、貯金を崩しながらの生活でした。
そこで定期的な職業に就くために就職活動をして、なんとかありついたのが教員でした。
大学卒業と同時に教員の免許は取得していましたので、ハローワークで私立学校の教員募集があり「ワープロ」ができる人という簡単な募集内容でこれならいけると思い、応募したらすぐに採用となりました。
その当時から考えても「ワープロ」という言葉が「パソコン」と書いていなかったのをあやしいと思わなかったことに発端があったのでした。
私立学校の勤務は激務。さらに超絶ブラック教員がいるせいで…
4月から正規の教員として勤務をし始めましたが、私立学校での勤務は過激なものでした。
朝は早くから出勤し、その日のプリント作り、生徒への電話連絡、授業の準備、授業、放課後の居残り学習指導、部活動の指導と年中休みがとれるのはお盆と正月だけでした。
その中でも特に過酷なのは部活動の指導と生徒とのやり取り。
部活動は土日も休みがなく、1年間のほとんどは学校にいる状態でした。
部活動の指導中は生徒が自分で考えてできればよかったのですが、もう一人の顧問が超絶ブラック教員で、私はその教員の目の届く範囲に必ずいなければいけないという、檻(おり)の中に飼われている鳥状態でした。
生徒とも少しずつ話せるようになり、その部活の生徒と話をしていたらそれだけで今何を話していたのかというのを事細かに聞かれ、女子の生徒を少し連絡事項を確認しただけでセクハラ扱いをされて校長に直接呼ばれて説教されたり。
こんな人間も世の中にいるのかと思いました。
その時にはその顧問のやり方に従わなければ、せっかく就職したこの職業をやめなければいけないというプレッシャーからか全く文句もいいだせず、泣き寝入りするしかありませんでした。
パニック障害を発症して休職…そして復職したが…
2年目から体調に変化が見られ始めました。
クラスの担任もして疲弊していた心は折れ曲がり、いつも仲良く話ができていた教員とも話すのがおっくうになり、ついにパニック障害を発症して休職することになりました。
1年ちょっとで休職するとは自分でも思ってもいなかったことで、生徒が一番の被害者だったと思います。
校長から気に入られていたその部活動の顧問は、もちろん自分が原因とも気づくこともなく、パニック症状がだいぶ治まってから復職しても、体力的にも精神的にも元のように思うように仕事ができず、それから1、2年たったころに自主退職しました。
校長は早く辞めさせたいという気持ちがみえみえで、私からやめる気持ちをいったときのほっとした表情がにくらしくて今でも忘れません。
昇給という概念はこの私立学校にはなく、初任給は14万円。交通費なし。
住居手当なしで、体調を崩してしまうだけに仕事をしていたようで、この悪夢は今でも昨日のようによみがえってつらいです。
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