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みんさんは、ここまでの人生において自分自身で道を決め歩み進んで来たでしょうか?
一般的には全てのことを自分自身ひとりで決めてきたのではなく両親や先生、先輩、友人など、さまざまな人たちからアドバイスをもらい自分が進む道を決めてきた人が多いと思います。
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しかし、中には自分に選択権というものがなく、すべて両親に決められて来た人もいるようです。
それは就職という職業選択の機会も自分には選択権がなく両親が仕事・職業を決めるようです。
そこで今回は、「仕事だけは自分が好きなものを選ばないと後悔する」というタイトルで希望と違う会社に就職した事がある人、希望と違う会社を選んだ理由と働いてみた感想についてインタビューしました。
目次
親の言いなりだった私には就職先の選択権は無かった
無職から抜け出せない現在を過ごしているのは、希望していない会社に就職してしまったからです。
24歳の男性である私は、親の言いなりになって生きてきました。
進学も習い事も親の言うとおりにしないと怒られる家庭で育ったので、当然のことながら就職先を選択するときにも私の意見は全くと言っていいほど反映させることができませんでした。
本当は医療機器メーカーに就職したかったのですが、仕事内容がよくわからないという親の身勝手な理由で諦めざるを得ませんでした。
これからの時代は少数精鋭のIT企業が伸びると親が言い出し…
キャリアカウンセラーと密かに就職活動を進めていたのですが、部屋に置いてあった資料から企てが発覚して努力が水の泡になったのです。
親に医療機器メーカーへの就職を却下された結果として、言われるがまま従業員数が8人のIT企業に就職することになりました。
コネ入社などではなくて、これからの時代は少数精鋭のIT企業が伸びていくと親が言い出して採用試験を受けることが決まったのです。
とりあえずは仕事が見つかったので、私はいつしか医療機器メーカーへ向けていた情熱を忘れてしまいます。
それに、学生時代には情報系の勉強をしていたので、新人研修レベルのことはできていました。
ところが、仕事そのものに興味が持てずストレスが溜まる一方だったのです。
入社一年後には仕事への意欲は一気に失せ休みがちに…
全く関心を持てない仕事内容を苦痛に感じた私は、家に帰るなり業務知識を習得する勉強もしないでネットゲームにばかり没頭する毎日を送りました。
私が就職してからの親は、普段の過ごし方について言及することはなくなりました。
そのせいで歯止めが利かなくなり、ネットゲームで暇をつぶすことになったというわけです。
怠惰な従業員ですから、先輩との実力差は開く一方でした。
入社一年後には上司から不勉強であることを指摘されてしまい、私の仕事への意欲は一気に失せました。
それからというもの、仕事では不明点が多すぎて休みがちになりました。
退職の手続きを済ませ両親には事後報告すると…
二週間ぶりに会社に行くと、上司から今後について話し合う場が設けられました。
三時間にも及ぶ話し合いの結果、仕事を続ける気力が一切ないことを理由に私は自主退職することを決めたのです。
退職の手続きが済んでから、両親には事後報告しました。
親から怒られた回数は数えきれませんが、仕事を辞めたときは大絶叫で何を言っているかわからない状態でまくし立てられました。
そのショックで私は社会復帰が怖くなってしまいましたから、現在進行形で引きこもっている状態です。
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